芸術の花開く都市展へ行ってきました [展覧会などの情報]

先日の話ですが、静岡県立美術館で現在開催されている「芸術の花開く都市展」(9月8日まで)へいってきました。この展覧会では、その都市独自の芸術があると考え、パリ、ローマ、東京などといった都市を題材にした、もしくはそこで描かれた絵画を展示しています。簡単に感想を書いておきたいと思います。

(パリ)ちょうど産業革命以降のパリの都市の風景を描いた絵がありました。蒸気機関の要すもの描かれていました。印象派から、フォーヴィズム、キュビズムまで各作品がありました。パンフレットにはクロード=モネの「睡蓮の池」が載っていますが、それをしばらく見ていました。なんか薄紫色に取り付かれそうだったんだ・・・?ちなみに、1920年代に日本の画家がパリで描いた作品もありました。第一次大戦中です。戦争は歴史を超えて引き継がれてきたというのも事実ですが、戦争を超えて文化も引き継がれるというのもまた事実なんですね。

(ローマ)自然と人間、歴史的構造物が共存した風景を描いたものが多かった。しかも草が生えているんですよwww建物に!!ちょうどイタリア統一(カブールの活躍したころ)の都市を描いたものがありました。

さらにロダン館も回りました。世界史関連のトピックとしては、ダンテの『神曲』に出てくる「地獄門」や、百年戦争の人々を題材にした彫刻などを見ました。某さんのために、ハングルで書かれたパンフレットを一枚いただいてきました。お土産としてもっていきます。絵葉書も買ったので、授業の中で徐々に見てもらおうと思っています。

ウェブページ
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/kikaku/2011/03.php

追伸
美術館はできることなら平日にいくに限る。休日と込み具合の差が段違いである。遠くから見たり、斜めから見たり、ずっと見ていたりできるのもすいていればこそである。大学生、いいなぁ。
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たかと

またまた質問なのですが、第二次産業革命の時に動力原が石油と電気になりましたが、その時もエネルギー革命と言えるのでしょうか?もう一つあるのですが、イギリスとフランスの関係についてです。英と仏は百年戦争以来、仲が物凄い悪くなり、僕が思うにアロー戦争前まで様々な戦争の介入に関して、対立した関係であったと思います。特に顕著な例がオーストリア継承戦争から七年戦争です。しかしアロー戦争では互いに組み、しかも帝国主義から一緒にドイツに対立し異常に仲良くなってます。ここから対立が英の目線で仏から独になったと思います。仏と英が仲良くなったのは、利害の一致で呉越同舟のような感じなのか、または本当に仲直りしたのかどっちなのでしょうか?毎度毎度すみませんがお願いします。
by たかと (2011-08-21 23:40) 

morning-trap-ice

たかと様へ
前者の質問に関して、イエスです。21世紀にはどのようなさらなるエネルギー革命が起こるでしょうか?

後者の質問に関しては、政治的行為の動機は難しいところがあるが、百年戦争、海外拠点を巡る抗争、フランス革命からナポレオン1世のころの対立、と英仏は対立関係にあったとは、まずいえる。そして、およそナポレオン3世のころに、英仏は友好な関係を結ぼうとし、おっしゃるとおり、クリミア戦争やアロー戦争に共同で同じ側で参戦します。

当時のイギリスは、産業が発達し、「世界の工場」と呼ばれたり、「パックス=ブリタニカ」と後に言われたりしました。ナポレオン3世としては、イギリスと貿易をすることで自国の産業も強化しようと狙ったり、また、イギリスを敵に回すべきではないと考えたりしたと思われます。そんなところに動機があったのでしょう。

ここまでが、アロー戦争に参加したあたりまでのお話。その後の話は、長くなってきましたので、次のコメントへ移ります。
by morning-trap-ice (2011-08-22 08:56) 

たかと

ありがとうございます。英と仏には、利害が絡んだ可能性が高いようですね。今週中にやっと一回目が……何か申し訳ございません。
by たかと (2011-08-22 15:33) 

morning-trap-ice

たかと様へ2
いやいや、よくがんばっていると思いますよ。一回でもしっかり復習できれば十分な力になります。あと欲を言えば、スピードマスターなどは、毎日1ページずつくらいやっておけば記憶のメンテナンスもできるであろう。

で、アロー戦争後の話ですが、大枠としては英仏共同の方向へ向かっているといってもいいのですが、少し紆余曲折があります。

まず、ビスマルクの時代。ドイツはフランスをこっぴどく倒し、屈辱を与えたため、フランスを警戒しなければならなかった。そこで形成されたのが、ロシアやオーストリアなどとドイツの同盟を組み、フランスを孤立させるビスマルク体制です。イギリスは、このころ「光栄ある孤立」という、争いに巻き込まれないために大陸と距離をとる姿勢を示していたのです。

その後帝国主義の時代になり、植民地を巡るいざこざ殻、フランスとイギリスはくっつきます。そして、ドイツやオーストリアのグループと、英仏露などのグループに分かれて、大戦の時代に入っていきます。

とても熱心に取り組んでいますね。感心します。

by morning-trap-ice (2011-08-22 16:17) 

たかと

またまたありがとうございます。でも僕が立てた計画に全く沿ってないから。新学期になったら授業で復習し家でよりブーストさせたいと思います!!
by たかと (2011-08-22 16:30) 

morning-trap-ice

たかと様へ3

そのバーストが起こるとき、世界史エネルギー革命が起こります!!もっと予習すると出てきますが、計画はうまくいかないこともありますさ。ソ連あたりのところです。
by morning-trap-ice (2011-08-22 21:43) 

たかと

また進めてみてロシアの何処が難しそうか予測してみます。
by たかと (2011-08-22 22:32) 

morning-trap-ice

たかと様へ
ふふふ、実は難しすぎるという意味ではないんだ(今の君に難しすぎるところもあるまい)!たぶんそのところまで行くと、「ああそういうことね」と思うでしょう。
by morning-trap-ice (2011-08-23 10:39) 

たかと

そうなんスカ!?頑張ってみます!!そして質問!!何で日本の三国干渉の時にロシアはフランスとドイツを誘って圧力を掛けたのですか?フランスはわかる気がするけれど、ドイツは再保障条約を破棄して、それでロシアは露仏同盟結んでドイツに対抗したのに。気になります。
by たかと (2011-08-23 14:16) 

morning-trap-ice

たかと様へ
簡単に言ってしまうと、当時の列強諸国は清へ進出したいと考えていたわけです。ですから、「日本が遼東半島へ進出して、そこを中国への足がかりとするような事態」は避けたい、というのが欧米列強の思惑でしょう。

ここで中国に恩を売っておけば、後から自分たちの中国進出も楽になるという下心もあったでしょう。ドイツにとっても、ここでの参加は思惑を果たす千載一遇のチャンスだったのです。それゆえドイツも参加しました。ロシアのほうでも、圧力を掛けるならば自分一国だけでないほうがよいし、敵対している国でも協調行動を見せておいたほうがいい場合もあると考えました。

主なポイントは、(無論植民地拡大のため)列強諸国は中国進出を狙っており、ここで干渉をすることは必要不可欠であり、またチャンスであると考えたから。といったところでしょう。
by morning-trap-ice (2011-08-23 17:41) 

たかと

やはりまた利害が……でも清はなんなかんやで沢山の列強に虐められまくったし、ロシア自信アイグン・北京・イリ条約で土地を得ていた訳ですから、恩を売るよりもプラマイゼロ、よりむしろマイのような気がします。あと日露戦争は完全にデキレースのように感じました。アメリカの調停の時点で公正さが欠けてるようにしか思えません…
by たかと (2011-08-24 00:35) 

morning-trap-ice

たかと様へ

結果は異なったが、アメリカが一番得してもおかしくはない(漁夫の利)調停ですもんね。ただ、どちらにもひいきのない国で調停できるだけの力がある国はなかなか見つからないからなぁ・・・。

ただ、この戦争の末期には日露両国とも本当は早く戦争をやめたいと思うようになってきていました。特にロシアの国内では暴動が起こっていましたので。そのような状況では、ロシアもアメリカによる調停出会って設けざるを得ないか。
by morning-trap-ice (2011-08-24 18:25) 

たかと

何かどろどろしいですね。思惑がわかってくると頭が痛くなります。しかも写真もあるのでとても生々しくてより苦しいです。やっと一時大戦いきます。どろどろをしっかり見たいと思います。
by たかと (2011-08-24 22:07) 

morning-trap-ice

たかと様へ

外交は、国益を背負って行われますから(自国のために、ということね)、利害に基づく思惑が交差しても、それは間違ったことといえないかもしれません。ただ、どの国も自国の利害だけで動くのは世界という規模で見たとき、いいことでもない。

そこで方向性としては、第一次大戦から見られたように、国際的な機関を作り、そこに権限を与えるというやり方が、少なくとも方向としては適切だと思う。現代であればNGOの活躍も大切だろう。

確かに、特に第二次は私としてもいろいろ調べていると苦しい内容が多い。しかし、過去に目をつぶるべきでもない。そして扇情的になってもいけない。戦争が起こった仕組みなどを検討しつつ、希望を紡げる内容としたいものだ。
by morning-trap-ice (2011-08-25 18:48) 

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