異説 鄭和の南海遠征 [明・清]

今回の授業は、鄭和の遠征を中心に永楽帝の治世を扱いました。鄭和の遠征はすごいですよ。ヨーロッパの大航海時代を超える規模だったそうですから。船には万の単位の人が乗ったそうですから。

このような大規模な遠征をなぜ行ったのでしょうか?授業では、朝貢貿易の拡大を目指すという一般的な経済上の動機から説明しました。話としては納得できる説ですが、実は、彼の大遠征に関してはいろいろな説があります。今日はそれ羅のうち、面白そうなものをひとつ紹介してみます。

それは、「靖難の変で倒した2代目の皇帝を探す」ためという説です。倒したはずの皇帝がどこかで生きている可能性があったため、見つけ出さないと自分がピンチに陥るかもしれないというわけですね。この説にのっとると、朝貢貿易の拡大は目的ではなく、有益な副産物ということになります。

実はほかにも、モンゴル等の異民族に対抗する同盟先を探して旅立ったとか、珍しい外国の品がほしかったから、などいろいろな説があります。

このようなところが、研究の面白さのひとつなのでしょうね。
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