5分で読むエジプト現代史 [現代史]

第二次大戦が終わって、1953年にエジプトはナギブ氏をリーダーとする共和制をとります。そしてまもなくナセルがリーダーになります。彼は、エジプトが永きにわたって抱えていたナイル川洪水問題に対処するため、アスワン=ハイダムというダムを建設しようとします。ただ、資金が足りないので、お金の点では昔支配していた国であるイギリス、そしてアメリカに支援を受けようと考えていました。

しかし、ナセルは、植民地支配の負の遺産を克服するために、社会主義的な方向を(銀行の国有化など)を目指しました。

このことは、資本主義陣営のアメリカやイギリスを警戒させました。また、エジプトは、イスラエルではなく、もちロン、パレスチナ側に親和的でした。このこともイスラエルを支援する米英を警戒させました。そのため、米英はエジプトへの資金援助を停止しました。

エジプトは困ってしまいます。そこで、資金集めの手段としてスエズ運河の国有化を宣言します。そうすることで、スエズ運河の通行料を得ることができ、資金が集まるという読みです。

これに反発したイギリスなどが、イスラエルをけしかけてエジプトを攻めさせます。これを第二次中東戦争(スエズ戦争)といいます(「代理戦争」とみることもできると思う)。1956年のことです。この戦争は、結局は国連の指導もあって終結し、エジプトはスエズ運河の国有化を達成しました。

その後、アラブ圏の代表国になってきたこともあり、領域を拡大しようとするイスラエル(ユダヤ人側)との間に第3回(1967)、第4回(1973:第3回の復讐戦。ちなみにこのときエジプトの指導者はサダトにかわっている)の中東戦争を起こします。このとき、アラブ側はイスラエル支援国へ石油輸出を減らすことで圧力をかけるという戦略をとりました。これが原因で石油価格が高騰したのが、いわゆるオイル=ショックです。日本の高度経済成長を終わらせた要因ですね。

これはまずいということでアメリカも乗り台、どうにか停戦に至ります。そして、後にエジプト=イスラエル平和条約が結ばれるのでした。

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